« 2006年9月 | メイン | 2006年11月 »
用事があり、みなみ薩摩市へ行きました。ついでに久しぶりに
吹上温泉に行ってみました。みどり温泉にいつか行ってみた
かったので、今回はそこにしました。露天風呂にはいったので
すが、一人ではいるには寂しいような怖いような所で、ミステリ
ー番組で、温泉宿の殺人事件のドラマがありますが、ここもい
いかもと思う事でした。泉質は、すべすべしてとても気持ち良か
ったです。
途中でコスモス畑が金峰山をバックに広がっていてとっても素
敵でした。
夜、熊野古道同窓会の参加の方から、全員で熊野古道を歩
いてとっても楽しかったと報告があり、また、思い出の1ページ
がみんなの胸に刻まれた事だろうと、参加できなくてとても残念
でした。事情が許されたならほんとに行きたかったです。企画
をしてくださった方々はわざわざコースの下見に行ってくださっ
ての企画だったそうです。昨年の京都同窓会の時もそうだった
そうです。お世話係をしてくださった皆様、ほんとうにおつかれさ
までした。ありがとうございました。
昨年11月、南めい館が放火によって半焼してしまっていま
したが、やっと修理?ができ、今日オープニングがありました。
館内では、枕崎出身の作家による作品展が開かれました。著
名な方々の力作を見る事ができました。
建物は、以前と変わらないようでしたが、空調設備など新し
くなって、いいじゃなーい、って感じでしたが、”焦げた臭い”が残ってしまってい
ました。南めい館は、”木造り”が売りで、木のいい香りがしていたのですが、と
ても残念でした。常に換気をして、炭など置いたりすると、少しはましになるかもしれません。
南めい館が建設されて以来行われている”ビエンナーレ 風の芸術展”は全
国的に有名になっていましたが、最近は、予算不足で3年に一回のトリエンナ
ーレになっています。これを機に是非ビエンナーレに戻して欲しいと思いました。
ちょうど西日本新聞の鹿児島総局の記者の方が取材にいらっしゃており、取
材を受けました。西日本新聞を読まれる方は是非、枕崎の南めい館の記事を
読んでくださいませ。
枕崎の駅周辺がかなり変わってきています。まず、枕崎駅が無くなり
ました。長年の枕崎の住民の希望の”駅の作り変え”ではなく、無人の
駅になってしまいました。一年くらい前、“枕崎の駅を守る会”の人達が
ある所にいらっしゃって、何やら言っておられましたが、今、何を言いた
かったか解かるような気がします。
かなり老朽化している上、利用率の悪い(昔は賑わっていたのですが)
わりに、広いだけ古いだけの駅でしたが歴史だけは古く、作られたのは、
昭和初期、戦時中には、戦争に行く息子、夫、ご兄弟を見送り、戦後に
なってからは集団就職の別れの舞台でした。嫁に行って加世田に暮ら
していた姉が、姑さんとうまくいかず帰ってくる姉をその日のうちに見送
ったのは、南薩線でした。背中に”ねんねこ”で息子を背負って、婚家
に帰って行く姉の後姿に、嫁に行くと言う事はこんなに辛いものなのか
と子供心に思ったものでした。(だからと言う訳では、ないのですが、生
まれたままずーっと、ここ・・・当店に居座っていますが。)
南薩線がなくなって久しいですが、今まで駅は国鉄の指宿枕崎線ひい
てはJRさんに貸していたわけです。今回スーパーのタイヨーさんが買
われて、新しいタイヨーさんが、駅前にお目見えするわけで工事中です。
それと同時に長年活躍してきたアーケードが完全に取り壊されました。
なんでも維持費がたいへんだったとか。台風に潮風の町・枕崎では,老
朽化も早く修繕に追われていたのでしょう。閑散とした駅前通りにおおき
な青空が広がって、唖然としてしまいますが、これはこれでいかにも南国
の風情でいいと思いました.。通りに椰子の木を植えたりするとより良くな
ると思います。ずーっと以前、明治蔵の新酒祭りの時、森本レオさんがい
らっしゃって、ちょっとしたお話をなさいましたが、枕崎が(何処か忘れまし
たが)東南アジアの島国に似ていると言われました。ハワイのマウイ島な
らまだしも、失礼なと思いましたが、今はそれでいいと。それがいいと思い
ます。
最近のコメント