« 2011年9月 | メイン | 2011年11月 »

2011年10月 8日 (土)

解釈

今日は、夫の携帯電話を買いにいきました。別に故障もなくて替えなければ理由

もなかったのです。しかし、先月、夫の携帯にだけ通用する、3,150円のクーポン

券が、携帯会社の請求書と一緒に送ってきたのです。何を思ったかと言うと、けっ

こう長く使っている(物持ちがいいほうなので)ので、故障した時、部品がもうない

から、買えどきですよーって言う案内の気持ちのクーポン券と、思ったのです。そ

れで、応対してくださったお店の方に帰り際に、「この券は、そんな意味で長く買い

替えていない方への案内だったのですか?」とお聞きしましたら、「いいえ、無作為

だったようです。結構替えにいらっしゃいますよ!」って言われて、事の全貌に気が

つきました。5万円からする品物を、「3,150円値引きするから、買い替えないですか?」

と言う販促のキャンペーンだったのです。自分かってに解釈して、高額な買い物した

ものだと反省しかたでした。ちなみに、機械音痴の夫は、機種が変わって使い勝手

が悪く、前のもので不都合はなかったのに買い替える必要があったのか、スマートフ

ォンならまだしも・・・。そうです。私がすべて解釈のミスでした。

意味もない買いものでした。ただ、対応してくださったお店の方がいい感じの方だ

ったのと、スマートフォンでしばらく遊ばせてもらったのは、救いでした。

こんな勘違い人生を送ってきたのだろうなーと、還暦もとうに過ぎてから思う事でした。

2011年10月 2日 (日)

木村 庄之助 さん

 私たちの希望の星、山崎 敏廣 さんが、行事さんの頂点を極めました。

おめでとうございます。

ネットからの情報です。(リンクは無効になっています。)

鹿児島県枕崎市出身。本名は山崎敏廣(やまざきとしひろ)。

26代木村庄之助の弟子である。2000年3月場所より2007年9月場所まで、第二次大戦後では6人目となる番付の書き手を務めていた。

長らく本名である敏廣(式守敏廣)を行司名として名乗っていたが、初土俵から実に36年が経過した2001年1月場所に9代式守與之吉を襲名した。9代式守勘太夫の引退に伴い、2007年9月場所より10代式守勘太夫を襲名したが、2008年5月場所に立行司(38代式守伊之助)に昇進したため、勘太夫襲名は短期間となった。

2011年9月場所限りで35代木村庄之助が停年退職することに伴い、2011年9月29日に日本相撲協会から『平成23年11月場所より38代伊之助を36代木村庄之助に昇格させる』旨の発表が行われた[1]。尚、正式に36代木村庄之助を名乗るのは11月場所の番付発表からとなる。