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2006年3月 6日 (月)

ブログ再開

ブログで、私の不手際で私のパソコンの中が公開されてしまった、と 早
とちりで、夕べは眠れませんでした。でも、大丈夫でした。今回は、”黒潮
海道”で再開させていただきます。
下記は、ホームページ上に書きました、日記です。

平成18年3月6日(月曜日)

 ブログは都合により、閉じました。
ちなみに下記は、夕べ一生懸命、シナップスのブログに書いた日記です。

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加世田川

今日の南日本新聞の”川 由来考”は、”加世田川”でした。

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二級河川、長さ13.1キロ。万之瀬川支流。水源は蔵多山。坊津と鹿児
島の中間にあり交易品を置く蔵が沢山あったという(加世田市史)。鹿児
島県地誌は“津貫川”と記述する。明治以後の津貫と加世田の行政的・
経済的力関係の違いが呼び名に現れた。津貫の本坊家は名より実をと
って焼酎造りとミカン作りを着実に栄させたのだろう。古事記にある”吾
田(あた)の長屋の笠沙”の笠沙がなまって加世田になったとするが、地
名はめったになまらない。やせた田・畑と謙遜した表現の”かせ田・かせ
畑”が語源では。
                             平田信芳さん記
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南薩摩では、みかんと言えば、津貫みかん。枕崎の薩摩酒蔵さんの本
家は本坊酒造さんです。昔は南薩摩では津貫が中心だったのですね。
合併で南さつま市となった坊津の方が、坊津は昔から津貫と交流が深
かったと言っておられました。津貫の名前の由来は、坊津の津に貫ける
所とか言っておられました。
昔、私が子供の頃、枕崎で常時飲まれていた焼酎は本坊酒造さんで
造られた”日本桜(ひのもとざくら)”が主流でした。いつの頃からか、薩
摩酒蔵さんの”白波”がとって変わってきています。現在は、”日本桜”
は合成酒として本坊酒造さんで造られています。
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 未熟者の私が説明も良く読まずに、日記を公開していましたら、とん
でもない事になっていました。それで急遽閉じました。
パソコンは怖いですね。いろいろ個人情報が流れるとよく聞きますが、
悪意によって流れる事もありますが、私のようにパソコンに未熟ゆえ、
流してしまう場合もあるのですね。
 あーあ、怖かった・・・・。
めんどうでも、このページが安全かしら・・・。
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と、言う事でしたが、よくシナプスのサポーターの方にお聞きして、確
認致しましたら、公開はされていませんでした。安心致しました。よく、
いろんな情報が悪意で洩れてしまっているようですが、被害に遭われ
た方の気持ちがわかりました。
サポーターさんありがとうございました。


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ブログ再開を参照しているブログ:

コメント

いろいろと大変でしたね。
がんばってください。

tokoro* 様へ

 コメントありがとうございます。なんだか意味不明のブログで申し訳ございません。、結局何も心配するような事はなかったです。なにしろおばさんなものですから、早とちりで、とうしよう、どうしようでした。でも、サポーターさんに良くお訊きして事なき事が理解できました。それでまた3回目のブログ再開でした。今後ともどうぞよろしくお願い致します。

黒潮海童・・・ちごた海道・・での復活
おめでとうございます。ナニがあったか判りませんが・・7日の日は、津貫にいたのに・・・・・・・
これからも人生的にきばりましょう~~

あぶ様へ

 コメントありがとうございます。
いつもお力ぞえありがとうございます。ご相談をしたかったのですが・・・。解決できました。
NTTさんがADSLの工事の事を言ってきました。

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